
およそ1300年前、藤原京(694~710年)の時代の記録によると、現在の群馬県の中に「車(くるま)評」(「評」は大宝律令によって「郡」となる)と呼ばれていた地域があったとされます。
奈良時代に入るとすぐ、和銅6年(713年)の諸国の風土記編集の勅令により国・郡・郷名はその土地にあった漢字二文字で表すことと定められ、この時「上毛野国」は「上野国」に、「車郡」は「群馬(くるま)郡」に改められました。
「群馬」の漢字を当てたのは、この地方で多くの牧馬が飼育されていたこと・古代の人々にとって馬は権威を示す家畜として豊かさの象徴であったことが推測されます。
そして音が濁って、現在のように発音するようになったと考えられています。