
江戸時代初期には東国の北の守りとして主に譜代大名が上州に配置され、前橋藩、高崎藩、沼田藩、館林藩、安中藩、小幡藩、伊勢崎藩、吉井藩、七日市藩などがあり、交代寄合旗本では岩松(新田)氏の岩松陣屋が置かれました。
また岩鼻には上野国内の幕府領を支配する代官の陣屋(岩鼻陣屋)が存在しました。
江戸時代から昭和初期にかけては、桐生織を中心に、当時の基幹産業である絹織物生産の中心地として発展します。
上州の女性が家庭社会において従属的な位置に甘んじることなく元気溌剌としている大きな理由は、養蚕織物業によって女性であっても多くの収入を得る事が出来たからでしょう。
これは加齢年齢にも影響を受けない練達技巧であるといえるでしょう。
いわゆる「かかあ天下と空っ風」です。
「かかあ天下」は、「女性(妻)に頭が上がらない男性(夫)」とか「妻の尻に敷かれている夫」と取られがちだが、上州の男が自分の妻を感謝・尊敬し、自慢する意味で「ウチの母ちゃんは天下一」という意味を持っているのです。
養蚕業は原始的ながら複雑な工程を経るため、群馬県(埼玉県北部上武地域を含む)では養蚕業に由来する社会行事が多く残っています。
民俗学的に優れた材料の宝庫ともいえ高く評価されます。
往々にして写真美術の題材になるなど養蚕業の深奥は未だに尽きません。
養蚕製糸業は当然製造工学的な技術発展を促しておりこれを背景に大正時代には日本最大の飛行機会社となった中島飛行機が設立されました。
第二次世界大戦中には疎開地として多くの民衆・企業を受け入れます。
軍需工場が集中する高崎市街地、前橋市街地、伊勢崎市街地、桐生市街地、中島飛行機太田工場、小泉工場はそれ故に米軍による市街地空襲の標的となり、その内、高崎市、前橋市、伊勢崎市、太田町(現:太田市)の一部、などの市街地は甚大な被害を受けました(桐生市はほぼ被害なし)。
戦後はこれまでの平野部の農業、工業製造業も復活したが、娯楽民生に技術を転用した好例として遊技機(パチンコ機パチスロ機)の製造販売が盛んであるといえます。
製造業の系譜は途切れることなくまた女性の社会参加も同様であります。
県民の一世帯あたりの自家乗用車保有台数は全国でも首位を争うほどです。
一家に親世代子世代用の各乗用車に加え一定の労務に従事する女性のための乗用車を用意しているのが各統計に見てとれます。
政治的にも首都圏にありながら保守土着の性質が未だに残り、自由民主党の勢力が強く「保守王国」と呼ばれます。
また、有力議員が当選回数を重ねて首班指名を受けるという現代保守政治の手続に忠実な意識であるでしょう。
戦後には福田赳夫(高崎市)、中曽根康弘(高崎市)、小渕恵三(中之条町)、福田康夫(高崎市)と4人の総理大臣を輩出しています。